旧・望月志乃の ひびわれたまご blog.shinoegg.com

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター望月志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

「しょうがない」という愛

家族

人生なんだかんだで「しょうがない」の連続である。

いろんなものが「しょうがない」

父はこういう人だから、しょうがない。

母はこういう人だから、しょうがない。

兄弟はこういう人だから、しょうがない。

学校とはそういうところだから、しょうがない。

社会とはそういうところだから、しょうがない。

結婚とはそういうものだから、しょうがない。

育児とはそういうものだから、しょうがない。

 

大人は色んな「しょうがない」を抱えて生きている。

 

子ども時代には納得ができない「諦め」の側面

でも、子どもの頃は「諦めるなよ!」と燃え上がっていたはず。

「諦めてる大人ってカッコ悪い!」と感じたことでもあったはず。

 

出来ることがあるのに、やる前から諦めてしまうより、反骨精神で改革を起こす情熱が必要な場面もある。

 

でも思っていたより、「諦めること」はそこまで悪いものでもなかった。

 

諦めることはそんなに悪いことでもない

「しょうがない」というのは、「諦める」という、ネガティブな印象を与える意味の他に、「受け容れる」ことを意味する言葉でもあって、

大人になるにつれて、「寛容さを獲得した」とも言えるのだ。

 

「どうして自分の思い通りにならないんだろう!」と利己的に憤慨することをやめ、

「そういうものだから、どうにもならないことは受け容れて、前向きになんとかやっていこう」となる。

 

それでも「しょうがない」を連呼していると、たまに、たまらなく寂しくなることもある。

 

でも、それもまた、しょうがない。

 

ありのままを認め受け容れることで得る未来

ありのままの他者を認められない人間は、ありのままの自己をも認められない。

逆に、色んなことの「ありのまま」を、素直に受け容れて、しなやかに生きていくんだ。

 

例えば、

自分を捨てた元恋人が、どうしても忘れられず、泣く泣く諦めざるを得なくても

その相手はかねてから「その人はやめておきなさい」と周囲から反対されていた人だったりもする。

その失敗を経て、学んで、諦めた後に出会った人こそ、前よりも自分にふさわしい相手だったりするんだ。

 

そうやって、ネガティブな意味で「あきらめた」ことがあったとしても、きっと未来の布石になっている。

 

わたしはいま、パーソナリティ障害を抱えた母親に振り回されているけれども

「それが母という人だから、しょうがない。」

 

受け容れて、肥やしにして、またより強く、たくましく、優しい自分になって、進んでいこう。

 

まあ、しょうがない。

なんとか、やっていこうな。