望月志乃の ひびわれたまご

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター・志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

周囲を振り回したいわけじゃない

振り回したいわけではないのに、気がつけば周囲を巻き込んでいる。

良い影響ばかりなら良いのだが、悪い影響を与えることもある。

無作為、無自覚、無意識に。

自分らしく生きていると、そういうことになってしまいやすい。

結果として、知らないうちに恨みを買うこともある。

 

そうならないように、迷惑をかけないように、ひっそりと大人しく、善人であるように振る舞えば、トラブルに見舞われることもない。

ただ、それはとても気を使うし、疲れるし、何より人生がつまらなく感じてしまう。

 

別に誰に嫌われたっていいけれど、迷惑をかけることに慣れたいとは思わない。

良い影響だけを与えたいという考えも、人間である以上、ただの思い上がりな気がする。

周囲の期待に応えたいというプレッシャーも、疲れている時には荷が重い。

 

求められている自己像と、自分で思っている自己像と、そのどれでもない自分が混在していて、“ネット上のパブリックイメージ”のコントロールと、“志乃”というハンドルネームと、それに絡むしがらみに、何だか疲れてしまった。

 

嫌なら少し辞めればいいだけの話で。

勢いでツイッターのアカウントを削除したりもしたものの、誰かに心配をかけたり、振り回したいわけでもなく。

 

むしろ逆で、心配性で過保護な母親に、何かと束縛されて育った身としては、全く私の影響を受けない人の存在が安心するし、放っておかれるのが好きだったりする。

 

大騒ぎをして、周囲を巻き込むよりも、誰にも知られずに、ひっそりと消えてしまいたかった。

そういう意味では、1人でこっそり死のうとしたあの日から、根本的な部分ではあんまり変わっていないのかもしれない。

まあ、すぐに思い直して、人知れずアカウントをすぐに復活させたりして、我ながら非常にダサいことをやっている。

 

ここのところツイッターを開けば、女性差別に関する問題とか、世の中の理不尽さに触れる、気が滅入る話題ばかり。

自分もそうやって、“誰かの気を滅入らせるツイート”ばかりしている現状も嫌だし、何よりつまらない。

まあ、他にもプライベートで色々とあって、疲れているんだと思う。

 

生きていくということは、誰かと関わっていくということで、

良い影響も、悪い影響も与え合うことになる。

それは私に限った話ではなく、生きてりゃ全員に言えることなんだけど

影響を受けたり与えたり、振り回したり振り回されたり、そういうことに疲れてしまう時もある。

 

1人でいたいけれど、孤独になりたいわけでもなく

1人にはなりたくないけれど、他人と関わりたくない時もあり

かといって実際に1人でいると、物足りなさを感じたりして

我ながら面倒くさいなあ、なんて思った。

 

心理学者のアドラーは「人間の悩みは、全て人間関係の悩みである。」と言い切っている。

「周囲なんてどうでもいい」と割り切れたらまあ、悩みなんてないわな。

 

どうにもならないことが、たくさんあって

どうにかしたいことも、たくさんあって

それら全てが、自分じゃどうにもならないこともよく分かっていて

 

「結局のとこ、わたしは今、何をしたいんだろうか。」とシンプルに問いかけてみたところ、

要は「少し疲れたから、休みたい。」だけのことだとわかった。

 

誰にも迷惑をかけず、心配もかけず、ただ、ひっそりと休みたい。

そしてそういう気持ちを、ここに記録として残しておこう。