望月志乃の ひびわれたまご|ADHD主婦

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター望月志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

産後、子どもが犠牲になるニュースを見るのが辛くなった

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娘を産んでから、モンハンが辛くなった。

 

素材を手に入れるためだけに、親子を殺すのが辛くなった。

バカみたいだけれども、ただのゲームだとわかっていても、殺すのが辛い。

 

片方だけ逃すこともできた。

でも家族が私に殺されてしまったそのモンスターは、そのあと一体、どうなってしまうのか。

 

そんなことをつい、考えてしまう。

 

子どもが生まれてから、ゲームの中のモンスターにまで感情移入してしまうほど、子どもという存在が「どれほど大切なものか」を痛烈に理解した。

 

ずっとどこか他人事だったのに 

それまでは、テレビで子どもが犠牲になるニュースを見かけても、自分とは関係のない遠い世界で起こっていることのようで、気の毒に思いつつも、どこか他人事だった。

親モンスターにすら感情移入するというのに、同じ時代の、同じ国の、同い年の子どもが犠牲になるなんて。

「もしウチの子だったら」と考えると、その痛みが、苦しみが、どれだけのものか想像がつき(それすら足りないと思う)、事の重大さに震えてしまう。

 

子どもを亡くす痛みは「身が引き裂かれる」という表現ですら、きっと足りない。

 

6才の女の子、親子の6年間

泣いたり、笑ったり、怒ったり、悩んだり 。

 

「無償の愛」なんて言葉が、母親への呪縛に感じる夜もある。

子育てはちっとも簡単じゃなくて、思うようにいかないことばかりだし、可愛いと思えない時もあるし、「私はこの子の母親にふさわしくない」と責任を放り出したくなることもある。

 

それでも「ママ!」と自分を頼ってくる、小さな手を払いのけることができなくて、「ほら、行くよ」と優しく手を握って、子どもに合わせて歩く毎日。

 

「迷子にならないように」

「事故に遭わないように」

「風邪を引かないように」

「栄養バランスが悪くならないように」

「お友達と仲良くできるように」

「素敵な大人に育つように」

 

そういう小さな、でも切実な「お願いごと」を抱えながら、毎日毎日、宝物を扱うように育てていく。

 

6歳の子にはそうやって、愛情をかけられた6年間がある。

 

 

それでも、手を離さなきゃいけない時がくる

 

ずっと親がそばについて、守ってあげられなくなる日が、必ずやってくる。

「この子ならきっと大丈夫」と信じて、新しい世界へ向かう後ろ姿を、遠くから眺めることしかできなくなる。

 

それは哀しいことではなくて、喜ばしいことでもある。

 

だから、もうやめてくれ

お願いだから、登下校中の子どもを狙うのをやめてくれ。

子どもに乱暴するのをやめてくれ。

子どもの心と体を、粗末に扱うのをやめてくれ。

 

 

性的な目で見つめる前に、その子は誰かにとっての宝物であることを知ってくれ。

 

「クソみたいな親もいる」?

そうかもね。

でもクソみたいな親から生まれた子をクソみたいに扱っていいわけはないでしょう。

 

自分勝手な理由で粗末に扱っていい子どもなんて、この世に一人も存在しない。

 

どうか、一人でも多くの子どもたちが、安心して朝を迎えられますように。

 

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