望月志乃の ひびわれたまご

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター・志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

「ママがパパを指導してあげて」がミスマッチな理由

「パパが家事育児に協力してくれない」
「パパに安心して子どもを任せられない」
「パパが主体性を持って、自分から動いてくれない」

 そういう悩みを持つお母さんは、多いのではないでしょうか。

そう言ったお悩みについて、度々「パパはどうしていいか分からないだけだから、ママが新人研修をするつもりで指導(教育)してあげて」という旨のアドバイスがされることがあります。

その度にママ側から「違う、そういうことじゃない。」という反発が起こるわけですが、それが何故なのか、どうにも伝わりにくいようです。

そこで、自分なりに考えたことを、まとめていきたいと思います。

指導教官(頼れる人)が誰もいない中で頑張るしかなかったママ達

突然2人きりにされて途方に暮れた初日の思い出

突然2人きりにされて途方に暮れた初日の思い出(昔の下手な画像ですみません…)

産前産後に、自分なりに勉強をしたり、母親学級などで簡単な指導を受けることはありましたが、実際のお世話については、ほとんど未知の世界からのスタート。

子どもを産んだからと言って、急に「ママ動作プログラム」がダウンロードされるわけでもなく、助産師さんが、手取り足取り付き添って教えてくれるわけでもなかった。

 気を抜くとすぐ命を落とす”未知の生物”を相手に、自分が全責任を持って、対処していかなければならなかった。


たった一人で、産後のボロボロの体で。

その時の苦しみが、悲しみが、重圧が、努力差が、意識の差が。

夫婦の溝を深めてしまう。

 

 

わからない。怖い。どうしたらいいの。

でも、自分がやるしかない。

そうしないと、この子は死んでしまう。


そういう歴史があるからこそ、「ママに任せる」という態度のパパに怒りを覚えるし、外野からの「パパに教えてあげなよ」というアドバイスに、ズレを感じてしまう。

ママを頼るなら、せめて真剣に話を聞いてくれ

 

「手伝って欲しい」んじゃなくて「危機感を共有」したい。

確かに、新人研修のように、パパを手取り足取り指導することで、「手伝ってくれる」ようにはなるかもしれない。

表向きは、「合理的に問題解決された」かに見えるかもしれない。

 

でも、そうじゃないんだよね。

 

「自分と同じように頑張って欲しい」とは言わない。

「自分と同じだけ危機感を持って欲しい」という気持ち。 

違う人間だからこそ、それが無理だと分かっていても、「寄り添おうとする姿勢」が見たくなる。

 

ママは「指導を受けてないから、できない。」じゃ済まなかった

指導する側と、される側の関係は、対等ではない。

その圧倒的な「知識と経験と意識の差」が、生まれてしまったことが悲しい。

 

どうして自分から調べようとしないのか。

どうして問題意識を持ってくれないのか。

どうしてもっと真剣に考えてくれないのか。

どうして「教えられてないから」と人任せにできるのか。

どうしてパパは、世間的にそれが許されるのか。

 

 

まとめ

「どうしてママばっかり!」「誰にも頼れなくて苦しい!」「誰か助けて!」という嘆きは、「寂しさ」から来るもの。

その苦しみに対して「パパに多くを求めずに、合理的に対処(指導)すればいい」というアドバイスは、益々、パパと自分の差が浮き彫りになって、ママの孤独感を深めることにしかならない。

指導をすれば、家事は手伝ってくれるようになるかもしれないけど。

育児も手伝ってくれるようになるかもしれないけど。

 

指導教官になって、指示通りに動く部下が欲しい訳じゃない。

命がけの戦場で、安心して背中を任せられる、相棒が欲しいんだ。

 

「悪いが、こちらも命がけでね。イチから育ててやる時間も余裕もないんだ。生き残りたければ、話すことをしっかり聞け。自分の頭で考えて、行動しろ。ここは戦場だ。それを忘れるな。(銃のセーフティロックを外す)」

 

新人に対して、教育もせずに即戦力を期待するのは、おかしい。

現実的に考えたら、割り切って優しく指導するのが、一番合理的で、手っ取り早いのかもしれない。

でもそれで「寂しい」「不安だ」という感情を解決できるのなら、誰も苦労はしない。

 

本当のところは「自分並みに家事・育児を手伝って」と言いたいわけではなくて、「危機感を共有」したいだけなんだ、きっと。