ひびわれたまご

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター・志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

「ねえ、好きに生きたらどうなるの?」「母親だから無理だよ」

旦那に言われた。

「志乃は、好きに生きたらどうなるの?」

彼からしてみれば、いつも自分に鎖を巻き付けて、生きづらそうに見える私を見て、思うところがあるのだと思う。咄嗟に、

「非常にマズイことになると思う。」と答えた。

30も過ぎてしばらく経ち、自分という人間を、それなりに理解している。本来の私は、悪ふざけが好きで、ハッチャけて笑いを取るのが好きで、無鉄砲なことに挑戦することが好きで、性格は子どもっぽい。自由と孤独を好み、そのくせ目立ちたがりやで、自己顕示欲が強い。到底、母親が務まるような女ではないと思う。

 それを理解しているから、「本来の自分らしさ」を取り戻すと、まともな母親でいられなくなる気がしている。今だって、まともな母親かと問われると首を傾げてしまうが。母としての自分ではない自分を、持て余しているのだと思う。

「好きに生きていいんだよ」と言われたって、世間や家族が許さないだろう。この考えがバカげたものであるという自覚もある。「子どもがいるから…」ということで色んなことを諦めては、恨みがましく娘に愚痴る母をみて、幼い頃の私はいつしか「自分のせいだ」と思うようになっていた。被害者側の立場として、子どもを勝手に理由に使われる理不尽さを経験していたはずなのに、気づいたら母親と似たような道をたどりそうな自分がいて、因果なものだと思う。

「子どもをダシにするんじゃないよ」

まさしく、そうなんだと思う。

「子どもがいなかったらどうなっているか、考えてみて」

そうは言っても現実に娘はいて、ifの話を考えても仕方ないんじゃないかという気持ちもある。

「子どもがいなかったら、〇〇ができるのに」と考えることが、全くないと言ったらウソになるけれど、産んだことに後悔はないし、そんなこと本当は考えたくもない。

「好きに生きていいんだよ。」という言葉に、脊髄反射で「そんなわけにいかないよ」と答えてしまう自分がいて、原因もなんとなく察しているんだ。

いつも何かに捉われていて、いつも何かに怯えている。

家族を持ったことによって、守りたいものが増えすぎて、「世間体なんてクソくらえ」なんて無邪気に言ってられる立場でもなくなってしまった。自分が好き勝手に振る舞うことで、大切な人が被害に遭ったり、今ある幸せを壊すことが怖いんだと思う。

守りたいものが増えると、不安も増える。どんどん臆病になっていく。

「変人」と言われて、どこかで無邪気に喜んでいた少女の私はもうどこにもいなくて、「おかしな母親」と言われることに怯える私が出来上がった。

女性同士のマウンティング合戦において「あの人は変人だから」という、眼中に入らない、いわば「治外法権」を手に入れると、とっても動きやすくなることを私は知っている。だけど母親になった今、それをやってしまうと、自分がバカにされるのは慣れているが、子どもまでが変な目で見られそうで、開き直るのも難しい。

「理想の母親像」と「実際の自分」を比べた時に、ギャップがあり過ぎて、両立ができそうにない。本来の、自分勝手で子どもっぽい私が、母親業をまともにこなしている姿がまったく想像できない。

母親になる時に、自分らしさを捨てざるを得なかったんだと思う。

いまやすっかり「自分らしさ」って何だっけ状態で、「そんなものより子どもの方が大事だから」という結論に至る。

だけどそれじゃあ消耗していくばっかりで、自己犠牲をしているという意識が、どんどんストレスを生み、抑圧を強めていくのを感じる。

「志乃は、好きに生きたらどうなの?」

想像ができない。

しちゃいけないと思う。母親でいられなくなってしまう気がする。

大切に思っているし、大切にしたいからこそ、自分を削る必要性を感じるのだ。

「世間」という実態のない集団に、「理想の母親像」を押し付けられることを嫌悪し、反発しながら、誰よりも自分が自分を縛りつけている。

だって実際問題、母親として、きちんとしなければならないじゃないか。

 

自己実現をし、自己満足度が高い母親の方が、自分を削りながら子育てをしている母親よりも、きっと笑顔が多いことだろう。何より、自分の人生の選択を、子どものせいにしないと思う。このままだと私もいつか、いつかの母のように、子どもに「あなたがいたから諦めた」とプレッシャーを与えるようなことを言うようになるのだろうか。

もちろん、自分のやりたいことを諦めない母親たちは、それなりの努力と苦労を重ねて、リスクも受け容れたうえで生きている。私はそれだけの努力を、やる前から放棄していたのかもしれない。

好きに生きてもいいのだろうか?

好き勝手にやっても、家族に迷惑がかからずに済む方法が、あるのだろうか?

「願ってはいけないこと」と決めつけて、「どうすれば達成できるか」、解決策を考えることもしていなかったのではないか。

そう考えた時、

 

「おかあさん、私のことはいいから、お願いだから、好きに生きてよ!」

 

小さな頃、そう母親に泣いて頼んでいた自分自身の姿が、フラッシュバックした。

 

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