ひびわれたまご

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター・志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

パパに「思い知らせたい」ママの気持ちになって考えてみる

どうも。志乃です。

Twitterを眺めていて、思うところがあったので、考えをまとめておきます。

 「旦那が子どもを連れて実家に帰ること」が許せないママの話

これに関しては私も同感で、繰り返しブログで書いている「みんなで幸せになるにはどうしたらいいのか」というテーマに通ずるものがあります。

ただ、哀しいかな、前回の記事でも触れましたが、人間は良くも悪くも「自分が与えられたものを、周囲に返す」ところがある。誰かによって苦労させられたり、周囲から頑張りを認められていない人ほど、「私も苦労したんだから、あなたも同じくらい苦労してよ」と、つい思ってしまう。

人間ってそういうところ、あるみたいなんですよ。

だからこそ、誰かがどこかで踏みとどまなければならなくなってしまうけど、多くの場合、その立場の人は孤独で、あんまり報われない。

優しい人ほど、生きにくい社会。

根っこにあるのは「私を認めて欲しい。分かって欲しい。」という悲痛な叫び

旦那に「普段の仕返し」をしてみたって、家族に「私はこんなに大切なんだぞ」と脅しつけたって、良い結果になんかならないのだと頭では分かっていても、悔しかったり、悲しかったり、寂しかったりで、気持ちが止まらなくなることもあるかもしれない。


blog.shinoegg.com

 

 本当はただ、優しくされたいし、優しくしたいはずなのに、どうしてそうなっちゃうんでしょうね。

相手に求めるものは何だろう?

話は、冒頭の「私が普段感じている子育ての苦労を、お前も少しは味わってみろ」と思ってしまうママに戻ります。

たった2日間で味わう苦労なんて、このママが普段味わっている苦労のうちの何%か分かったもんじゃありませんが、それでも味わってほしいと願ってしまう環境に置かれているんだろうなという予想はできます。

普段から良好な信頼関係を築けているのなら、こんな風に承認欲求をこじらせることもないだろうと。

あくまで推測にすぎず、実際のところはわかりませんけどね。

「本当の願い」を、「怒り」を、「寂しさ」を、どうやって正確に伝えるか

こういう時、「相互理解を深めて問題解決をしよう」というより「議論して自分の不満を伝えたい、要求を通したい」にすり替わってしまいがち。

 

で、逆に、相手のことを考え過ぎたり、遠慮したりして、何も言えなくなってしまうことも多々…。

うちの夫婦の「夫婦喧嘩ができない」悩みについて、ちょっと触れました。

 

きっとシンプルに「寂しいよ」と伝えるだけで、解決することも多いんだろうな。

ただ、それだって相手が「=俺の態度が責められている!」と感じてしまったら、心にシャッターが下りてしまうこともある。

どんなに仲のいい夫婦だって、「相手は自分とは違う他人なんだ」という事実に、時折さみしくなることがあります。

でも、その人と愛し愛されたかったら、愛を持って接し続けるしかない。

 

「どうして分かってくれないの!?」と泣き喚いてみたって、どうにもならない。

 

報われるかどうかも分からない人・ものを相手に、理不尽に耐え続けている人が、本当にたくさんいる。

どれだけ我慢したって、焼け石に水ってこともあるかもしれない。

 

まあ、簡単に言うと。

 

やってられるかーーーーアホーーーーって話。

 

大体のことは、因果応報。

情けは人のためならず。

 

たまに、本当にやってられない時があるけど。

諦めずに、優しい自分でいたいなと思います。

 

現場からは、以上です。