ひびわれたまご

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大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター・志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

正論と説教で「困った親子」は撲滅できるのか

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どうも。志乃です。

ネット環境の整っていない実家からこんばんは。

取り急ぎ、ツイートで書いたことをまとめさせていただきます。読みづらい点があるかと思いますが、良かったら少々おつきあいくださいませ。

 

 

「こういう非常識な親がいた!」系ツイートはバズりやすい

共感とカタルシスを得やすいんだと思う。同じ親の立場からすると、バッシングを受けている親御さんの色んな苦労や背景を想像したくなるし、本当のところはどうなんだろうかと、まず考えてしまう。勿論、中には本当に非常識な人もいるんだろうし、注意や警告が必要な場面もあるだろう。

「私はそんな非常識な親とは違います!」って言うのは簡単

だけど、もうそういう「常に世間の人の、勝手な審査基準の目に晒される」状況が息苦しく、産後の余裕のない時期に、かなり精神的に追い詰められた。批判の内容も「実情を理解していないが故の机上の空論」だったりして、「肌感覚のない相手」に理解を求めても難しいことが多々あった。

ただ一方で、ネットでは情け容赦のない過激な意見が飛び交うものの、実際に出かけてみると、沢山の方の思いやりに触れる場面も多く、拍子抜けすることもあった。

 

よその子叱りづらい問題

ツイッターで、非常識な親に遭遇したエピソードや、盗撮した写真が出回っていることがあるが、多くが「不特定多数(最近の親は変なのばかりという危惧から来る)への注意喚起」という形を取っている。

マナーの啓蒙活動としてそれもまた必要なのかもしれないが、「けしからん!」と晒し上げたうち何割の人が、「その場で本人に直接注意したのか」気になるところではある。

「非常識な親もいるにはいるが、大多数の親は、置かれた条件のなかで一生懸命やっている」というのが私の感覚。

「この子どもが可哀想だと思いませんか!?」と不特定多数に向けて呼びかけるより、その場で本人に注意した方が、よっぽど「その子」の為になるのではないかと思う。

ただ、それをやるにはリスクもあるし、覚悟もいるし、面倒くさいし、非常識な人種には出来ることなら直接関わりたくないと思うのも無理のない話だし、気持ちは分かる。

 

正義感はトラブルの元

うちの子は現在5歳。

昔から真面目で正義感が強い一面があり、その強さから「間違ったことをしている相手」に対して容赦がなく、当たりがキツイと感じることがままあった。

本日、沢山の子どもたちが自由に遊べるキッズランドに連れて行ったところ、3〜4歳頃に強く見られたそういった傾向が薄れ、だいぶ協調性が生まれていたことに驚いた。おそらく、幼稚園の先生や、お友達の力を借りながら、社会生活の中で、彼女自身が学んだのだと思う。

親としては「対人トラブルを起こさず、周りの子と仲良くして欲しいと思ってしまうが、シャイなはずの娘が、なかなか順番を代わって貰えなくて困ってる子の手を引いて、相手の子に「次、この子だよ!」と言っている姿を見て、涙腺が緩んだ。

うちの子は、公共の場では大分しっかりしているタイプで、行儀よい方だと思う。でもそれは「躾を頑張った」私の手柄では多分ない。元々そういう気質ってのと、幼稚園や社会の中で本人が学んだのだと思っている。

 

「親がちゃんと注意しろ」は正しい。

「親がちゃんと注意すれば済む話」であるとか、「他人に注意させるな」であるとか、「親がちゃんと注意していないからだ!」となるのは疑問。

「親がしっかり教えてあげなければ、一生その子は、分からないままだ。知らない人から叱られたって効果はない。」という意見を目にすることがある。

その人は親以外から叱られたり、教えて貰って学んだ経験がないんだろうか。

 

うちは大人しめの女児の1人っ子。私には分からない苦労があるのだなと、色んなママ友と知り合ううちに分かってきた。例えば、2人同時に「片時も目を離さない」って、だいぶ難易度が高いこと。上の子の世話のために一瞬目を離した隙に、下の子が全力で逃げたりする。

会計の時、財布を取り出す一瞬の隙に、片方が視界から消えたりする。

これらは、私には経験したことのない苦労だった。

私なんぞより、大分しっかりしてる素敵なママ友の子が、ヤンチャ盛りで正攻法ではどうにもならず、苦労しているケースを何度も見てきたので、「親がしっかりしてよ」っていう言説が正論であろうと、「そう分かった風な口で簡単に言うけど、ちゃんと分かってる?」と疑問に思う。だけど多くの場合、そう言ったところで「子育て経験のない者は意見しちゃいけないって言うんですか!」となり、相互理解からは余計に遠のくという現実。

 

「社会で育てる」ってどういうこと?

今日も目撃したんだけど、残念なことに、ズルしたり、意地悪したり、迷惑な行為をする子に限って、そばに保護者がいなかったりすることが、ある。(まあずっと見ているのはしんどそうな子ではあった)。

よその子って注意しづらいなと思いながら、自分もそうやって大きくなったよなと思い、「順番はきちんと守ろうね」と伝えたところ、素直に従ってくれた。これは私が「知らないおばさん」だったことが大きいのだと思うし、この子の母親が同じことを言っても、おそらく同じようにはいかないだろうなと感じた。

 

親が躾を放棄していいわけでは勿論ないけどね。

私は昔から自分の両親のことを「非常識で恥ずかしい」と思っていたし、それは残念ながら現在進行形である。

(※名誉のために追記しておくと、母は私の躾と、教育には熱心であったし、感謝をしている部分も沢山ある。)親の価値観だけではカバー仕切れない部分を、沢山の他人に補完していただいたという気持ちが強い。

幼馴染のご家族に、よく面倒を見て貰ったし、学校の先生にも助けていただいた。色んな大人の世話になって、今の私があると思っているから、「親の教育が全て」というような言葉に、納得がいかないのかもしれない。

 

人間は完璧じゃないし、親も完璧じゃない。だから社会がある。

何度も言うようだけど、今は社会全体に、余裕がないんだろうなと思うし、結局のところそれが全ての元凶なのではないか。

子どもにとっては、「親」も「社会の一部」に過ぎない。親の影響は確かに大きなものだが、社会の中で育つ以上、決して「親が全て」ではない。

抑圧され過ぎた子もはたから見たら「いい子」

親としては「いい子過ぎる」のも心配の種になったりする。

顔色を伺ったり、過度に抑圧された結果のことだとしたら、注意が必要になる。マナーを教えながらも、同時に「こんな時代だからこそ、他人の目を気にせず、のびのびと明るく自由に振る舞う位の方が、子どもは健全に育つんじゃないか」とも思う。

不特定多数に説教しても、善良な人が必要以上に萎縮し、問題を抱えた親には効果が薄い

相手が「よその子」でも、親が悪い、親が何とかしろ、と親任せにするんじゃなく、本来ならば、そういった親の教育が期待できない子にこそ、「大人」一人一人が「ダメだよ」って言ってあげなくちゃいけないのではないか。

 

逆に、自分の子が知らない大人から注意をされた時、親たちは謙虚な姿勢で耳を傾ける必要があるのだとも思う。

 

子どもは親を選べない。

どの親にも欠点があり、完璧ではない。

そんななかでも、社会から色んなことを学んで育っていく。

 

それに、問題を抱えた親に正論をぶつけて、それで世の中からネグレクトが減るのなら、誰も苦労しないよね。

 

現場からは、以上です。

 

 

[マンガでわかる]お母さんのための子どものしつけとマナー

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