ひびわれたまご

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大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター・志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

毒親被害者が「なんでもかんでも親のせいにする」ということについて

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どうも。志乃です。

「何でもかんでも親のせいにすること」に対して、ツイッターで様々な意見があり、それについて個人的に思うことがあったので、ツイートを時系列順にまとめたものを掲載いたします。

簡単に言うと、「毒親問題に悩みつつ、自分も親になってみて分かったこと」についてです。お暇なら見てよね。


親に、自分の全てを無条件で許容し、愛してほしい」という気持ちは、きっと子どもにとっては当然の願い。それが幼少期に充分に満たされなかった場合に、大人になってから様々なトラブルを抱えてしまうことがある。

 

なんでもかんでも親のせいにするということ

(転載は控えるが)Twitterで次のような内容のツイートを見かけた。

親に(自分の考える)理想や完璧さを求めることは、親への配慮不足であったり、「親と自分は別の人間である」という認識が不十分であるということではないか…という意見や、「親によって人格が歪んでしまったということが、事実だとしても(周囲の信頼を得たければ)どこかで「すべてを親のせいにする」ことをやめて、方向転換をしなければならないのではないか…というような旨の意見(解釈が間違っていたらすみません)。

基本的に同意だが、それを受けて同時に考えたことが以下。

 

マインドコントロール下に置かれていた場合、「なんでもかんでも自分のせいにする」段階から、なんでもかんでも親のせいにする段階や、そこからもう一歩進んで、責任を切り分けたりする段階を経ることで、ようやく次のステップに進むことができる。

当時の私は、母を許すことが『「お母さんは悪くない…」とひたすら耐えていた子どもの頃に戻る』ことと同じだと思い、認めたくないと怯えていた。それに対し、カウンセラーは、「何も知らずに無条件に許していた頃のあなたと、全てを知った上で許してあげたあなたでは、同じような選択に思えても、意味が全く違ったものになるから、戻るわけじゃない。安心して。」と言って下さった。

全ての親は無条件で許されるべき?

本当に「何もかもが親のせい」で、ずっと離れていた方がいい親子だって、世の中には当然いるはずだ。

外から見て「それまで親のせいにするって、どうなのよ?」と感じたとしても、それはその人にとっては、次に進むために必要なステップなのかもしれないと思う。

無償の愛、無条件の奉仕、全許容。
完璧な人間なんていないのに、完璧な親は軽い感覚で求められがちで、ふたりの人間が背負うには、大きな荷物だなあと思う。

親子愛って何なんだろうね

優しくしたいのに、幸せになってほしいのに、「一緒に居ると辛い」という悲劇。

「好きか嫌いか」で簡単に割り切れないから、苦しい。

そして、「経験」でしか分からないこともある。

反面教師にしようとすると自分が苦しむ

自分の親に「理想」を追い求め、毒親やアダルトチルドレンに関する知識があればあるほど、自分が親になった時に、大きなプレッシャーになってしまうことを知った。

親への批判は、「私もお母さんみたいな母親になってしまったらどうしよう!?娘が私みたいに育ってしまったらどうしよう!?」という恐怖や、「自分はどうなんだ!?」というブーメランとなって容赦なく自分にはね返ってきたし、カウンセリングに通うことになった原因も、このへんの影響が大きい。

未熟な親を許すも許さないも自由だけど


闘った分、頑張った分、誰もが報われて欲しい。
そして、内面で闘っているかどうかは、本人にしか分からないのかもしれない。

ただ、「お母さんに寄り添わなければ」という気持ちから来る、親子の一体感が強過ぎたまま大人になってしまうと、親の問題まで、子どもが引き受けなければならないことにもなる。

「お母さんが不幸そうに見えるのは、私のせいじゃない。」と自分に言い聞かせる意味でも、やっぱり「親を否定する」フェーズは必要だったなと、振り返ってみて思うよ。


最後に、カウンセラーから当時言われたアドバイスを載せて、結びの言葉とします。

「お母さんはお母さん、あなたはあなた。違う人間だってこと、忘れないで。」

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