ひびわれたまご

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター・志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

【カミングアウト=代表者?】誰かが「大人の発達障害者」の代表になる必要はあるのか? #ADHD

「無理解」にも種類があり、全ての人から好意的に見て貰うことは不可能

他人の多様性を認める者が、結局は周りから認められる。

全員から認められたいというのは、他人の自由な見解を認めないということで、それは多様性の否定でもある。

啓発活動は、誰のため?何のため?

全員から好かれることは無理。

身近な理解者や支援者を探し、自己理解を深めて、自尊感情を高めることが幸せの近道だとしたら、なんのために啓発活動を行っていくのか?

他人に期待すればするほど苦しくなって、「自分と他人は違う人間である」という自他の境界線があいまいになっていく。

 

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 「ADHD主婦の当事者」として意見を求められる機会が増えた

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 以前、ADHDをカミングアウトする記事を書いて、「ADHDを持った母親に対する情報が、書籍にも、ネットにもない、カミングアウトも困難だ」という旨を訴えたところ、わたしを取り巻く環境が、少しずつ変わってきた。

ありがたいことに、「お仕事」としてエッセイを依頼されることも増えてきた。

 

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まあ、知らないなら勉強すればいい話なんですけどね。

 

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まだまだ偏見も根強い中、「私は発達障害者です」という声が上げづらく、上げたら上げたで、数が少ないため今度はその人が代弁する代表者のように振る舞うことになってしまう。多種多様な発達障害の看板を、個人が背負うには負担が重く、個人差が激しいため、誤解も広まりやすい。

障害者に「性格の良さ」が求められがちなのも、周知の通り。

 

▼こちらに行ってまいりました。

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発達障害のお困り度には個人差がある。先入観を捨て、「発達障害」ではなく、一人一人を見てもらいたい。

「みんな」に「発達障害のこと」を知ってもらいたいのではなく、「大事な誰か」に、「自分のこと」を分かってもらえるかどうかなのではないだろうか。

 

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 自分のことを知ってもらうためには、自分で自分が、自分のことをよく知っていなければならない。

 

 

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世間にADHDの認知を広める意義とは

 

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まずはまだまだADHDのことを知ってもらう段階で、カミングアウトする土壌はまだ整っていない印象。それでも少しでも多くの人が声をあげていくことで、負担が分散されていき、色んなタイプがいるんだということが、自然と広まっていくのかもしれない。

 

カミングアウトした1人1人が、誰からも安易なレッテルを貼られず、負担に思わなくて済むような社会になることを願う。

 

 現場からは、以上です。

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