ひびわれたまご

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター・志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

【大人のADHD】何事もハードルを上げ過ぎるのは良くないよね

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どうも。志乃です。

お蔭様で(?)ブログの更新が滞っております。

暑くなってまいりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 

もうね。なんていうかね。

書くからにはちゃんとまとめたいな~~とか

ちゃんと調べてからにしたいな~~~~とか思いますと

こうね、ガッ、とブログを更新する勢いが足りなくなるといいますか。

書きたいネタは色々とあるものの、億劫になってしまいました。

 

まあ、それはおいおい書いていくとして。

今回はもう、肩の力を抜いて、とりあえず更新しとこうかなみたいな。

そんなノリです。

 

むりやりライフハックに繋げますけど、この方法、やる気を出す方法として有効みたいですね。

「とりあえず軽くやり始める」のが、エンジンをかけるのに最も適した方法らしいです。

Twitterの方に、ここのところADHD当事者として思うことをタラタラと垂れ流しておりますが、ブログ記事にまとめるとなると、ハードルが上がりますね。

何でなんでしょうね。

 

適当でいいじゃないか。

関係各所にご迷惑がかからないよう、なるべく配慮するところはして、そんな感じでいこうじゃないか。

この記事、ここで終わってもいいじゃないか

 

…と思いましたが、それではあまりにあまりなので、ここ最近のツイートを以下にまとめてみたいと思います。よろしければ、偏屈者のいち意見として、軽いノリで読み流してください。

 

想像の及ばないものを否定したくなる心理

Twitterの方でも言及しましたが、これ、全く他人事ではないんですよ。

自分の視野外の出来事に対して、想像力が欠如してしまったり、うがったものの見方をしてしまうことがあるということを、身をもって学びました。

自分にとっては当たり前だと思っていることを、何度注意しても出来ない相手と遭遇した時、「わざとやっているのか!?」「もしかして、悪意があるのか?」と、頭にきてしまったり。

「相手の立場になって考え、理解する」ことは、実はとても難しいんですよね。

そういうものだと、まず受け容れる。

発達障碍者が幸せになるのに不特定多数からの理解は必須か

啓蒙活動と好感度の影響と、その危険性

一方で、理解されず、傷ついている人たちが沢山いる。

その経験がまた孤独感と人間不信を強め、生きづらさにつながっていく。

夫婦といえど、全て分かり合えるわけでもないが、それは別に悲しいことではない。

心に余裕がある人を探す方が難しい社会

あなたが求めるものは何?

あなたが理解して欲しい人は誰?

他人に期待し過ぎて苦しくなるのは、「自分と他人は違う人間であり、他人は他人で自由にしていいし、自分も自分で好きにしていい」という感覚が弱いせい。

「自分はこれでいいんだ」という自己肯定感が弱いと、そうなってしまいがち。

 

優先順位を決め、一番大きな目的が達成されれば完璧でなくてもいい

石油王に見て欲しいものリスト

問題解決できないとしても心を楽にする方法

無力感と孤独と、自他の境界線

無力感を和らげるには自己評価を高めよう

ちいさなことから始めて、成功体験を積み重ねることで、すこしずつ自信を持てるようになっていく。どんな小さなことでも構わないから、「自分はできるんだ」という気持ちを少しずつ育てていこう。

 

偉そうに書いてみましたが、これらすべて、自分に向けて書いたエールのようなものです。お互い、頑張って生きましょうね。

 

現場からは、以上です。 

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