ひびわれたまご

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター・志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

私がADHD(注意欠陥多動性障害)の検査を受けた理由と、現状の問題点

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このブログと私について - ひびわれたまご

注意欠陥・多動性障害(ADHD)とは

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発達障害の一種。困り度合いは、環境や個人差によるところも大きい。

かなりざっくり言うと、脳の仕様で「うっかりさん」な人達のこと。苦労や苦手なことも多いけど、ここぞという時の集中力や、ヒラメキで活躍したりもする。一説によると、漫画家さんや作家さんに多いとか。

 

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発達障害は「よくないもの」なのか?

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「ADHDだから」出来ることも確かにある

ADHDの中には、「いつ終わるか分からない状態」で、「ただじっと待っている」ことを、苦痛に感じるタイプがいて、別の行動で紛らわそうとすることがあります。それが、ウロウロと動き回ったり、空気を読まずに喋り続けてしまったりと、人によって取る行動は様々ですが、わたしの場合は、「ツイートする」ことで解消することが多いです。

ADHDの検査で分かったこと・感じたこと

この出産騒動のあと、数年経ってから受けた検査によって、平均よりも頭の回転が速く、瞬発力があり、言語で表現する能力が発達していることが分かりました。

同時に、「自分ではどうしようもできない欠点」も数値として目に見える形で知らされることにもなりましたが、「自分は普通の人よりも劣っている、取り柄なんかない」と感じて暮らしていた中で、何よりこの「数値で表れた長所」が、客観的事実として証明されたようで、とてもうれしく、生きる励みになったのを覚えています。

 ただ、感じ方は人それぞれであり、その時に本人が置かれている環境にもよります。

理想は、それぞれの欠点も含めた「多様性を認め合える社会」だが…

陣痛をツイート実況したことを例にとっても、自分のやったことを好意的に受けとめてくれる人ばかりではないし、それもあって然るべきことだと思います。

 

迷惑をかけた相手に、「わたし発達障害あるんで!サーセン!!」と言って済むかというと、相手からしたら、たまったものではないし、それを免罪符として「全て許容されるべき」と主張することが、正しいこととは思わない。

 

自分の身を脅かす存在をも認めろというのも、難しい話で。現に私だって、うまく出来ていません。

 

発達障害者を取り巻く環境

また、前にも書きましたが、「何で自分はこうなんだろう」という自己嫌悪や、自責の念との闘いなので、診断結果という第三者からのお墨付きがあるかないかは、かなり大きな差であると感じています。

尚、娘に遺伝しているかどうかについては公言していませんし、今のところ、するつもりもありません。様々な考え方があるでしょうが、そうであっても、そうでなくても、本人の意思や、今後の時勢によると私は思っています。

「世の中はクソ」なのか?そうだとして、ならなぜ子どもを産むのか

発達障害者の一人として、何を望むのか

冒頭で紹介した通り、個人差によるところが大きく、傾向と対策の共有はできるが、「ADHDは、皆こうなんです」という断定ができない。全ての紹介文に(※個人差があり、すべてのADHDがそうだというわけではありません)という但し書きをつける必要があり、ひとくくりで語ることができない。

そして、複雑なものほど、「理解されにくい」し、「伝わりにくい」。ADHDを啓発しようとする時、単純化され、ひとくくりにされ、誤解されるリスクと常に隣り合わせ。

「ADHDだから、こうなのね」という理解の仕方は非常に危険で、「わたしは違うのに」と、合っていないこともある。

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ありのままで、レットにイットのGOできるようになりますように。
あと、みるみるうちに景気がよくなって、人々の心に余裕が生まれて、「うっかりミス?かまへんかまへん!」みたいなノリと空気になりますように。

 

現場からは以上です。 

 

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