ひびわれたまご

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター・志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

長女が母親の「愚痴のはけ口」にされやすい理由と問題点

このツイートに対して、「私もそうだった」という声を、たくさんお寄せいただきました。これは母親から娘だけでなく、父親から息子にもある話なんだそうです。

同性の家族に、「わかってもらいたい」「共感してもらいたい」「自分の味方になってほしい」という気持ちがあるんでしょうね。

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愚痴・悪口を言う=共通の敵をつくる→連帯感が生まれる

母親が家族の誰かを「悪者」にすると、そいつが「共通の敵」であり、「可哀想な母親に味方しなければならない」状況が作り出されます。

世の父親に対して「娘に好かれたければ、母親の機嫌をとれ」なんて言われるのも、このため。娘は母親による「父親のネガティブキャンペーン」を受け続けるため、少なからず影響を受けます。「母親に嫌われるようなことをする父親が一番悪い」という話もあるでしょうが、母親が我が身かわいさに、無自覚で子どもをマインドコントロール下に置いてしまうということもあるでしょう。

家庭は子どもが人間関係の基礎を学ぶ場所

家族間のコミュニケーションから、子どもは人間関係の基本を学びます。家庭内に敵がいる状態で、子どもが健全な信頼関係を築けるようになるでしょうか。

 

母親の感情は、母親個人のものであり、子どもには本来、関係のないものなのに、母親が自分の娘を使って共犯者にしてしまう危険性について、考えてみましょうか。

 

「あの人ったら、ひどいのよ。あなたもそう思うでしょう?(そう思わなきゃおかしい)」

 

これは、「自分は自分、他人は他人」という、自分と他人の区別があいまいな人がやりがちなことで、それによって母子の境界線があいまいになります。

結果、どうなるかというと、「お母さんのために」生きようとする子どもになってしまう危険性があります。「母親思いの良い子」と言えば聞こえはいいですが、自分をないがしろにして、他人の顔色をうかがったり、自分らしくイキイキと生きる力を奪ってしまうことになりかねません。

 

孤独な母親は、長女に救いを求める

また、まったくの別件ですが、関連性があると思ったツイートを、以下に引用させていただきます。

彼女らはそうやって、ストレスと孤独を解消しているのです。
長女はたまったものじゃありませんけど。
(大事なことなので2度言いました)

無理してまで受け続ける義務はまったくありませんし、自分の心を守るためにも、自分と母親との境界線を死守する必要はありますが、それで彼女らの苦しみが和らぎ、救われていたと思えば、少なくても無駄な苦しみではなかったのかもしれません。

 

「お母さんも、大変だったんだろう」と思い、母親に多くを求め過ぎないことで、心が楽になったり、逆に自分が救われたり、見えてくるものもあります。

shinoegg.hatenablog.com 

shinoegg.hatenablog.com

 

大事なのは信頼関係の築き方?

愚痴る頻度にもよるでしょうが、「質」にもよるんでしょうね。

子どもに何も愚痴らず、ストレスを溜め込めということではなく、「家庭内に敵をつくらない」ということが大事なんでしょうか。家族の誰かが、本当に「脅威の存在」であるならば、家庭という子どもにとっての「安全地帯」から追い出すことも考えなければならない。それはきっと、容易なことではありませんが、子どもの人格形成において、影響力が大きいのは、言うまでもありません。

そこまでではなくて、「面白くないから、子どもをちょっと味方につけてやれ」というような軽い気持ちで、家族の誰かを頻繁に「悪者」にするのは、やめておいた方がいいのかもしれません。

被害者意識が強すぎる”被害者”は、同時に加害者にもなりがちですから。

 

現場からは以上です。

 

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