ひびわれたまご

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大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター・志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

【楽になる考え方】「諦める」と「認める」は近いところにある?

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どうもみなさん、こんばんは。
今日も元気に生きづらいですか?志乃です。

今回もまた例によって、ツイートのまとめ記事とさせていただきます。

宜しければお付き合いください。

 

見栄を張るより、謙遜し過ぎるより、等身大&自然体がいい

ありのままの自分を知り、あるがままを認めている人は、いつでも自然体でいられる気がします。

それがなかなか難しいんですが。

拒絶するよりも、受け容れたり、受け流すほうが楽にはなれる

もちろん、他者から不当な扱いを受け、生命や人権が脅かされているような時はこの限りではありません。

ただ、自分自身や他人に向けた過度な期待や、それが思い通りにならないことに対する怒りや悲しみなど、「自分自身ではどうにもできない」ことへの執着は、とっとと捨ててしまった方が、心が楽にはなりますよね。

特に、他人や社会は、まず自分の思い通りにはならないんですよね。

自分をとりまく世界が、理想的でないことに対する悲しみと、怒りと、執着。それに加え、何より「ふがいない自分自身への怒り」に、振り回された10年だったような気がします。

 

自分ではどうにもならないことは多くあるのに、それを受け入れることができず、「努力で何とかすること」を、諦められませんでした。

そしてその考え方の癖は、今もかなり残っています。

 

諦めることは、悪いことなのか

とにかく「諦めないこと」が美談として語られがちですし、「理想を追い求め、欠点を克服するべきだ」という風潮があるような気がします。

このブログでも何度も書かせていただいていることですが、自分に厳しい人というのは、他人にも厳しくなってしまうものだと思います。

自分自身の「理想像」を諦められないと、他人にも「理想的であろうとする姿勢・努力」を求めてしまうんですよね。

そしてそういう風に考えがちな人は、自分は自分、他人は他人であるという、”自他の境界線”があいまいな可能性が高いです。

理想を諦められないことで、自分や他人が「自然体であること」を認められなかったりする。

 

ヒトはあるがままで既に完璧である”、という話もあります。

自分や他人に、実際以上のものを求めて、期待をするからしんどいし、応えられないと苦しくなる。

「諦める」と聞くとどうしてもネガティブなイメージがありますが、実はそうではなくて、等身大の姿を理解し、自分や他人の、あるがままを受け入れられるようになり、自然体でいられる、ということなのかもしれません。

 

わたしも頑張ります。
現場からは以上です。

 

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