ひびわれたまご

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ひびわれたまご

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター・志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

「アフターに誘われなかったから同人イベント参加やめる」から、ママ友づきあいを学ぶ

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どうも。志乃です。

今日は、はてブ界隈で話題になっていた件について書きたいと思います。

同人イベント後のアフター(打ち上げ)に、誰からも誘ってもらえなかったため、イベント参加をやめた人が話題に

anond.hatelabo.jp

これに対しては賛否両論あるようで、様々な意見が寄せられていますが、おおむね同情的で、批判に見える意見も、アドバイスが添えてあります。「この人は、無理に参加したところで、孤立してまた落ち込みそう」と見る人も。

受け身でいるとチャンスを逃す

みんなアフターで楽しそうだ。
惨めだと思った。
誰も声を掛けてくれない。

引用:アフターに誘われないから同人イベント参加やめた

「いや、待ってないで自分から行けよ」と言うのは簡単ですが、ご本人が文中に書いている通り、原因は「人に話しかける勇気がない。」ことに尽きるんでしょうね。そして、「これはただの愚痴なんだ。悪いのは自分だってわかってる。」とも書いてある。

みんな誘ってくれなかった!って自己中に怒ってるわけじゃなくて、本当に虚しいだけなんだ。
怒ってるっていうなら、自分に怒ってるよ。
どうしてご飯一緒にどうですか?とかアフターついて行ってもいいですか?って言えないんだろうって。

引用:アフターに誘われないから同人イベント参加やめた

「どうなのよ?」と思ったが、人のことは言えなかった

まったく人のことは言えなかった

お互いの「仲間意識」と「信頼度」がキモ?

イベントに参加したら、もしかしたら隣の人と意気投合してご飯食べませんか!ってなるんじゃないかって。
そう思って、期待して。
何回かサークル参加したよ。
そんなのただの夢だった。
お隣さんは友達と参加していて、最初の挨拶以外話すこともない。

そうそう。隣にいたお母さんに、挨拶くらいなら出来る。

けど、それ以上発展しない。どうしても連絡先が聞けない。 

なぜ「オタ活ができて、ママ活ができない」のか比較して考えてみた

 

※ママモード(擬態)の一例

「あ~!どうも~~!○○ちゃんのお母さん、こんにちは~~!!スイマセン、うちの子、迷惑かけてないですか~?ホントですかぁ~?ウチの子、マイペースで~!えっ、ありがとうございます~~!!…あ、いえいえ、全然~!お互い様ですよぉ~、大丈夫ですぅ~!!いつもホント、ありがとうございます~~!…あ、はい、そうですね、じゃあ、また今度~~~!どうもぉ~~~!」

(「これからどっか行く~?」とママさん達が盛り上がっているのを横目に見ながら、逃げるようにそそくさと帰る)

 

疲れる。

 

 その点、ツイッターでは(※勿論、全てではありませんが)「素の自分を出している」し、それを知った上で仲良くしてくださる方々がいるので、その方々と会うことに恐怖感はないです。共通の趣味があることで、「仲間意識」もあります。

 

※オタモードの一例

「打ち上げあるんですか?え、行ってもいいですか?断られても行きますけど

 

何故なのか 

 

でも、幼稚園行事に参加している時のわたしは、自分でキャラを作りすぎてしまって、自分であって、自分でないような感覚になる。

だから行っても楽しめるイメージがあんまり湧かないし、帰宅後にガックリ来てしまう。

かと言って、ありのままの自分を出して、お母さんがたに受け容れられるイメージも沸かず、人の親としてのパブリック・イメージ(世間体)も気になる。

ひと昔前に流行った「ギャルゲー」みたいなもの?

普段から、地道に会話やコミュニケーションを重ねて、仲良くなりたい女の子の「信頼度」をピロリンと上げ続け、信頼度が一定まで溜まったら、デートに誘った時の成功度が上がる。さらに仲良くなってようやく「女の子の方から誘われる」あのシステム。

現実とゲームが同じだとは言いませんが、そう考えるとイメージはつきやすい。

小さなコミュニケーションの「回数」を重ねて、大きなコミュニケーションに発展するのは現実でもたぶん同じ。

「どうして出来ないんだろう」を考える

ゲームだと出来ることが、現実ではできない理由とは。

それは、生身の人間は「怖いから」だろうか。

「拒絶されそう」だから?

つまり、「自信がないから」?

渦中の記事からも、相手側の問題ではなく、内側の問題(自信のなさや卑屈さ)を感じます。

自分も周りも変えずに、「行動を変える」という選択肢

性格変えられなくて一人で勝手に凹むのなら、もうやめたほうがいいよね。って自分で決めたから。
本を作るのは本当に楽しいし、二次創作したい続けたいって思えるくらいそのキャラが好き。感想もちょっとは貰えるようになった。
好きだから、描くのはやめないと思う。
イベントはもう行かないけど。

「自分も周りも変えられないなら、行動を変える」、という結論に達したこちらの方。

それでご本人が完全に納得できたというのなら何も問題ないのでしょうが、

別のジャンルに嵌ったら、心機一転して今度こそ頑張れるかな。
イベント行けるようになれるかな。

どうやらサッパリと諦めがついたわけでは無い様子。

 まだわからないけど、とりあえずイベント参加やめようって決めたら結構心が楽になった。

 「傷つかないこと」を目的とするなら、これも有効な手段のひとつなんでしょうね。(注:それが悪いとは言っていない)

 

「ありのままの自分」を理解し、許容し、適切な対処法をとったのか

この場合、「ありのままの自分を認めたことになるのか」なんてことを、おせっかいながら、つい考えてしまいました。

ご本人が「心が楽になった」と書いているのに、素直に「良かったね!応援するよ!!」と祝福できないのは、根底にある「卑屈さ」「自己肯定感の低さ」が気になるからでしょうか。(本当に、余計なお節介以外の、何ものでもないんですが)

 

「本当に、それでいいの?」

これは、私に対する問いかけです。

この方のように、「幼稚園行事に参加しない」なんて選択肢をとるわけにもいかないですし、何より自分自身が「このままではいけない」と感じている。

「次こそは、次こそは」と考えて、毎回意気込んで参加するのに、挨拶や世間話はできても連絡先を聞けず「またダメだった…」とションボリして帰るのを、もうやめたい。

本当の願いは、「わたしも楽しみたい」。

 

答えを教えてもらった気がした

「自分はコミュニケーション能力が低い」と思っていましたが、自分が心を開いていて「仲間」「身内」だと思っている相手には、そうでもないということに気付きました。

足りなかったのは、コミュ力ではなく、「勇気」と「自信」。そして「信頼度」を上げるための「回数」。

 

「得体の知れない人」に対して、仲良くなりたいとか「身内」だと思う人は稀…というか、いない。

相手に、最初から多くを求めてもうまくいかない。

ちょっとずつでいいから仲良くなっていけばいいし、怯えていては始まらない。

相手に興味を持っていれば、会話の糸口が見つかりやすい。

今は、今のままでいい。「続けていく」ことが大事なのかもしれない。

挨拶ができているなら、きっとそのうち何とかなるさ。

そんなことを教えてもらった気がします。

 

他人のことならよく見えるのに、自分のことになると途端に「どうしていいか」不安になる。どうしたらいいのか考えていくうちに、他人を通して、自分にアドバイスをしている気分になりました。

そんなわけで、筆者さんには「どうもありがとう」と言いたい。

ゆっくりじっくり、前向きに頑張ります。

 

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