ひびわれたまご

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ひびわれたまご

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター・志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

理解されなくても構わないと思った

死ぬのをやめたあの日から、私の第二の人生が始まった。

 

辛いことは色々とあるけれど、自他を信じて前向きに生きてみようと決意したあの日から、自分は不幸だと思うのはやめた。

その後、何度も立ち上がろうとしては倒れる姿を、ずっと見てくれていた人と結婚した。

結婚して、子どもを産んで、子育ての難しさを知った。

親へ抱いていた自分の毒に、自分が苦しめられた末、和解することを決めた。

死ぬのをやめた時から、どんどん幸せな出来事が増えていった。

そのことを知っているから、きっと私はこれからも生きていけるんだと思う。

 

幸せになろうとすればするほど、誤解をされることも増えていった。

前向きに生きる人というのは、はたから見ると恵まれていて、何の苦労もしていないように見えるらしい。

 

「どうせ、その程度だったってことで、たいしたことなかったんでしょ。」

 

わたしの何十年間の悩みや、苦しみや、叫びや、怒りや、努力が、見知らぬ誰かによって「たいしたことがないこと」だと認定される。

苦しんでいる真っ最中の人間は、自分が世界で一番、苦しいんだと思いたがる。

苦しんでいたい気分の時、幸せそうな人間を見つけると、自分よりも悩みが大したことがないからだと理由をつけたがる。

私もそういうところがあったし、私が恵まれているのは事実で、確かにそうなのかもしれないとも思う。

 

それを夫に話したところ、「今の環境は、志乃が頑張った結果だよ」と笑っていた。

 

頑張らないと居場所がないという切なさ。

そして、居場所がない人が、頑張っていないということでもない。

本当は居場所がちゃんとあるのに、視界に入っていないということもある。

 

5歳の娘が大きくなるまでに、私に何ができるだろう。

この窮屈な現代社会を、この子はどう生き抜いていくんだろう。

自己肯定感さえ身に着けていれば、しなやかに生きられる。

そう信じて育てているけれど、育児書通りにはいかないことだらけ。

 

「毒親」の被害者側の視点として「親が幼少期にやってはいけない」知識をたくさん持っている。

その知識を持っていても、そうならないように努力することを誓っても、

怒鳴ってしまう時もあるし、まっすぐ向き合えない日もある。

 

「母は強し」なんて言われても、そんなに急に強くはなれなくて

自分の血液で出来た母乳を、文字通り身を削って与えながら

加害者にならないよう、もがいているうちにもう5歳。

 

「ちゃんと愛する」ってなんだべな。

母性って、なんだべな。

疲れ切って、愛も母性もひとかけらも絞り出せない時、じゃあ私は母ではない何かなのだろうか。

 

何をどうしても泣き止まない子どもを前に

もっと泣いてしまうと分かっている言葉を浴びせてしまったり。

いつかどこかで読んだ「毒親」の知識に、今、自分が苦しめられている。

「絶対わたしはこんなことしない」と誓ったはずのことを、気づいたらやっている。

 

ママが大好きだと言われるたび、「ありがとう、ママもだよ」と笑って抱きしめながら、本当はそんなふうに愛される資格なんてないんだよと、辛くなる時もあった。

 

母親は孤独だね。

思っていた以上に子育ては大変で、多くの場合、報われない。

それもよしと割り切って、子どもの将来を考える。

自分のことよりも子どものことを、気づいたらいつも考えている自分がいて。

子どものことよりも自分のことを、気づいたら考えてしまう日もあって。

「母親の資格」なんてものを他人や世間から与えられても与えられなくても、

5年前からずっと母親をやっている。

 

母を見ていると、成人したって母親業は終わらないんだなと悟る。

どちらかの命が尽きるまで、いや尽きた後も、もう一生、わたしは母親であり続ける。

 

いつか「ママは毒親だ」と責められる日がきたら、甘んじて受けようと思う。

そうならないように努力はするけれど、それはきっと、私の母も同じだっただろうと思う。

わたしも通ってきた道だと微笑んで、その後でお母さんに御礼を伝えよう。

 

辛いことだらけで、向いていないことだらけで

今すぐ自由になりたいと思うことばかりで

自分の弱さとズルさに叫び出したくなることばかりで

自分のことを知れば知るほど、どれだけのことを周りから許されてきたのかを察した。

自分がどれだけ多くの人に助けられてきたかを知った。

 

わたしがどれだけ母親失格だとしても、娘もいつか誰かの力を借りて

この同じ風景に辿り着いてくれますように。

 

www.youtube.com

平井堅さんの話題の新曲をかけながら

 

【大人のADHD】何事もハードルを上げ過ぎるのは良くないよね

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どうも。志乃です。

お蔭様で(?)ブログの更新が滞っております。

暑くなってまいりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

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発達障害者として苦労アピールをしたくない

どうも、志乃です。

取り急ぎ、ツイートのまとめです。

 

タイトルで誤解のないよう、最初に書いておくと「苦労アピール、カッコ悪い」という話ではないので、悪しからず。

 

 

同じ障害を抱えて、今まさに強い苦しみの中にある人は、周りに「いかに自分が大変な状況に置かれているか」理解してもらう必要があると思う。

それ自体を否定したいわけではなくて、むしろ大切なことだと思っている。そうすることで、支援の手が差し伸べられることもあるだろうし、理解が深まることにもつながる。

 

一方で、私のように「当たり前のこと」として、「苦労もあるけど、何とか生きて来れたし、これからもきっと何とかなる」と、楽観しながら生きていこうとする人間もいる。

 

懸念しているのは、そういう生き方をする上で「いかに大変かを周りにまず知ってもらいたい人たち」の妨害になってしまう可能性である。

 

「へえ、困ってないんだ、楽しく生きているんだ。じゃあ、別にいいじゃん?だから何?どうして欲しいの?」という感想をもらったこともある。

 

「不幸」でないと、興味を持ってもらえないのだろうか。

「苦しみ」からでしか、理解を得られないのだろうか。

 

発達障害に限らず、育児に関連する記事を書いた時、「代弁」したことに対する感謝の御言葉をいただくことが多かった。

日本全体で、育児環境が似たような状況にあり、母親が同じような気持ちを抱えやすい育児と比べ、発達障害の共感を得ることは、本当に難しい。

 

抱えている問題もそれぞれ違うし、状況やステージの違いもある。わたしは、わたしの体験したことや感じたことを書くことは出来るが、すべての同じ悩みを持つ人の代表者になれるわけでも、代弁できるわけでもない。

 

育児や、大人の発達障害問題に限らず、現代社会で共通しているのは「みんな苦労しながら、頑張って生きている」ということ。それが大前提になっていて、たまに、とても息苦しく感じることがある。

 

本当は苦労アピール合戦なんぞしなくても、お互いがお互いの状況を慮り、「目には見えない背景がある」と理解しあえば、それで済む話なんじゃなかろうか。

 

私は未熟な人間だけども、それは発達障害者だからではなく、「人間だから」だという、シンプルな生き方がしたい。

 

現場からは、以上です。

 

陣痛なう

陣痛なう

 

 

妊婦様と、わたしと、日本社会。「みんな違って、みんないい。」の罠

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どうも。志乃です。


突然ですが、「妊婦様」という言葉をご存知ですか。

妊娠しているというだけで、他人に対して、尊大な態度を取る女性のことを指すようです。その中にはとても図々しいタイプもいるようで、度々話題にのぼります。

ネットでは、そのような女性のふるまいを見て、「最近の親はこんなんばっかり!」と反感を持ったり、「こんなのと一緒にされたくない!」と憤る女性の姿を多く目にします。

今日は、そのことについてのお話です。

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無自覚で「他人をバカにする人」「上から目線でキツイ」と言われてしまう人の原因と対策

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どうも。志乃です。

世の中、色んな人がいるものですね。「無意識のうちに、人をバカにする態度を取ってしまうタイプ」の人間が、あなたの周りにも、いらっしゃるのではないでしょうか。

今日はそのことについて考えていきたいと思います。

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